料理上手な奥さんを幸せにはできない

昔から、料理上手な女の人はとても良いものだと世間では言われていて、その通りだと思っていた。

仕事から家に帰ってきたら、一汁三菜が揃った美しい食卓が用意されている……想像するだけでも、なんて素晴らしいことだろう、と思う。

けれど、「料理上手な奥さん」という概念と共にあるのが、料理上手な奥さん〝軽視〟だ。仕事を終えた夫が家に帰ってきて、用意されたご飯を一瞥し、うんともすんとも言わずにダラダラ食べる、あまりおいしそうな顔をしない、そもそも夜ご飯があっても飲み会に行ってしまう……。そういった料理上手な奥さん軽視は実生活でも耳にするし、ドラマでも目にしたことがあるだろう。

そんなの、ひどい夫よね。最悪。

と思っていた。

けれど最近、なんだか夫の気持ちもわかるかも、と思うのだ。

というのも、自分が気分屋で、やや偏食だからである。おそらく珍しい属性ではない。気分屋で、やや偏食な人はかなり多いだろう。

で、だ。サラリーマンの私は、日中バリバリ仕事をしている。大忙し。少し仕事が落ち着いてきた夕方、今日の仕事は疲れたな、なんだか、ハンバーガーでも貪り食いたいなあと、マックのロゴが脳裏に浮かぶ。できたらポテトも欲しい。シャカシャカのやつ。ドリンクはコーラだとベスト。そう思うわけだ。

けれど、仕事が終われば嫁が家で食事を作って待っている。「ハンバーガー食べたいので今日の夜飯いらないです」とは口が裂けても言えない。嫁は料理が得意で、毎日豪華な飯を作ってくれるからだ。

それでハンバーガーの口のまま、家に帰る。「おかえりなさい!」と温かい飯が出てくる。サワラの塩麹焼きと、ほうれん草のおひたし。とうふとひじきの和物。味噌汁。

 

違うんだよな〜〜〜〜〜〜〜

もうここでなんとも言えない気持ちになる。嫁にも飯にも罪はない。罪があるのは自分に他ならない。なんだよマックの気分って。不健康だろ。目の前の健康的な食事を見てみろ。手作りの心のこもった料理を。愛に他ならない。素晴らしすぎる。

 

けどさ〜〜〜〜

いまもうハンバーガーの口なんだよな〜〜〜〜〜〜〜〜

こうなると、悪い意味で素直な性格の人なら態度に出るだろう。「おいしい?」「うん……」あからさまにテンションが低い。嫁は困惑する。今日のご飯は上手にできたはずだ。サワラを塩麹につけるのだって、数時間前から仕込んでいるのに。

この場合誰が悪いって、気分屋で、やや偏食な私だ。わかっている。私が悪い。

けどさ〜〜〜〜〜〜〜

そう思い始めてから、誰かに飯を作ってもらう、ということの重みについて考えるようになった。なにをどう出されても文句を言わず、常に100%の笑顔で、おいしい! と食べられるだろうか。わたしは食べられない。至らない人間だからだ。

そしていま私には、ご飯を作ってくれる嫁はいない。どちらかというと嫁の立場で食事を作っている。自分だけ18時に倍チーズバーガーを食べ、23時に帰宅した男にサワラの塩麹焼きと、ほうれん草のおひたしを出している。「ごめんね、わたしは先に食べたの」「そうなんだ! お魚おいしいね」男には偏食がない。

こうして暮らしてみると、元々のステレオタイプである「男性は仕事、女性は家事」から抜け出しつつある現代でも、いまいちしっくりきていないように思う。性別のステレオタイプからは抜け出したが、そこからシフトして「料理上手(得意)な方が料理を作る」になっている気がする。

料理上手な方が料理を作る、でもまあいいんだけれど、本当に揉めないのは「偏食な方が料理を作る」ないだろうか。違う? 違うかも。

でも、偏食な人間が料理を作れば、好きなものを好きなだけ作れる。そしてそういう人の伴侶がなんでも食べられる穏和な人であれば、ふたりとも損をしない。好きなものを好きなように作って(または買ってきて)食べられる幸せは、偏食を持つ人間にとってとても大切なことである。

性別でも、得意不得意でもなく、こだわりが強い方が責任を持つ。全ての家事がそうであるように、料理もきっとそうなのではと思う。

こうなると必要なのは、結局相性のいい相手ということになる。それが一番難しいんだけどなあ。

全員が全員、相性の良い相手に巡り会えますように。そう願っている。

 

 

朗らかな暮らし